理系夫婦のうたたねブログ

理系夫婦が好きなことを書いていきます。旦那は医師では有りますが、医学的助言は一切おこなっていません。

4月から初期研修の人たちに私が言えること

旦那です。

331日をもって初期研修を修了するので、記念に書きます。

 

 

 

はじめに

私はそこそこ真面目に研修をしましたが、「マッチングで研修医に人気の病院に行って2年間ひたすら修行を積む」みたいなことはしていません。

なので優秀な研修医になる方法論みたいなことは書くつもりはありませんし、書く能力がありません。

ただ2年間研修していて、こんなことが大事だなーと思ったことを書いていきます。

このブログを研修医が見ることもないのかもしれませんが、いつかだれかの役に立てばと思います。

 

1, 食事と睡眠が本当に大切

これは前から思っていたのですが、働き始めてさらにそう思いました。

研修医が激務であったのは過去の話だとか言われることもあります。実際にここ最近の研修医の労働環境はそんなに悪くないのではないかと思います。それでも残業は発生するし、当直だってこなさなくてはなりません。

 

残業を含めた仕事をしている時間が長くなると、犠牲になるのは睡眠時間と食事の時間です。実際に私もそこまで忙しい病院では研修しなかったにもかかわらず、一時期は4-5時間睡眠で食事は12回(パンかコンビニ弁当で10分以内ですます。昼は抜き)みたいな時がありました。

 

そうなってくると、どうしたって明るい気分で過ごすことが難しくなります。厄介なのは、食事と睡眠を削らざるを得ない程度に忙しくなってくると考えが狭くなってきて、周りの人とのトラブルにも発展しかねないことです。本当は睡眠不足のせいで機嫌が悪いのに、周りの友人の些細な言動が引き金で口論になったりなど。

 

私は自分が思っていたよりもだいぶん単純なようで、空腹と睡眠不足さえ解決すればわりかし上機嫌で過ごせるということに気づきました。逆にその時々に嫌なこと(急な呼び出しだの、上司に怒られただの)があっても食事が取れていて、睡眠が足りていれば多少の落ち込みはあれど、なんとかなるのだなと思えました。

 

対策としては意識的に(職場で問題にならない程度に)食事の時間をしっかりとることと睡眠時間を犠牲にしてまで何かをしないことを継続しました。結果、私としてはそこそこのパフォーマンスで無理なく研修を継続できた気がします。

 

研修中に上司から

機嫌がいいというのは一緒に仕事をする上で大切

と言ったお言葉をいただきましたが、その通りだと思いますし、自分を上機嫌に保つというのも、言ってしまえば社会人としての責務の一部なのかなとも思いました。

 

なので仕事が終わったらさっさと帰って、食事して風呂に入って寝ましょう。*1休んでコンディションや機嫌を整えるのも仕事だと思います。

夜遅くまで残って勉強するよりも、常識的な範囲内の時間だけ頑張って、睡眠をしっかりとって次の日の日中に頑張ったほうがいい研修医になる気がしましたよ。

 

 

 

2, 挨拶やらなんやら、他の人と仲良くなれそうなことはひたすらやってみる

 

まあこれも言わずもがななんでしょうが、大事です。同期と仲良くやるのも大事ですが、いろんな職種の人と仲良くなるといいことがありました。

仲の良くなった臨床検査技士さんにグラム染色した細菌の見分け方を教えてもらったり、リハビリのスタッフさんにリハビリをしている患者さんを見せてもらったり、MMTを別々にとって筋力低下について議論してみたりっていうのは仲良くなって初めてできたことでした。勿論、看護師さんたちには数えきれないくらいフォローをしてもらいました。

 

挨拶やら軽い会話やらは大事と言われつつも、私は軽んじてしまうことも時にはありました。しかし後から振り返ってみると、仲良くなった他職種の方達はいろいろなことを教えてくれまし、いろんなことをしてくれます。*2

 

特に専門職の方々は私の知らないことをたくさん知っていて、話を聞くだけでも面白かったですし、協力することでより患者さんのためになる医療ができたのかなと思いました。バカなりに「これがチーム医療かー」とも思いました。

 

 

 

3, 手技はなんとかなるので気にしない

これもよく言われていることですね。と言っても、私は相当気にしてしまいました・・・

元来、手先は不器用ではないと思っておりましたが、研修医のなりたての頃は点滴が取れないこと取れないこと。

恥ずかしいことに一時期はイップスのような状態になって針を持つだけでしばらく手が震えてしまったこともありました。その時期は本気で「あ、私は手技は苦手なんだ。いくら練習してもできないんだ」みたいなことを考えていました。

 

加えて研修医なりたての頃は「できるようになったことを自慢しあう」みたいな謎の文化があり、同期が研修医室で今日はこれができるようになっただのなんだのと自慢してくる声が聞こえてきました。私は手技がそこそこできるようになるのが遅かったため、そんな声を聞いては「あ、それ私にはできない」「そんなことやったことすらない」と勝手に思い、地味にキツかったです。

勿論、私もおそらく何か手技ができるようになるたびに自慢をしてしまっていたかもしれないので、お互い様といえばお互い様なのですが、この時期は研修医の同期とはあまり喋らないようにしていた気がします。

 

2年経った今思うのは、大抵の手技はいつの間にかなんとかなります。

明確にいつからできるようになるとかいうのはないんですが、研修医である以上は手技をやり続けるのでそのうち慣れます。大丈夫です。

後、当然ですが手技の種類によっては習得するのが遅くなることもあります。実際私が初めてCVをいれたのは2年目に入ってからでした。*3ローテートの仕方によってはそうなるのです。場合によってはCVほとんど入れないまま2年を終えることもあると思います。それでも気にしない気にしない。

 

 

 

4, 同期は大事にする

上で同期の手技自慢がきつかったとか言っていますが、やっぱり同期は大事です。

研修していると辛いこともあります。そんな時同じ境遇の同期がいると愚痴を言い合えるのでとても助かります。全員と仲良くっていうのは難しいかもしれないので、何人か一緒にご飯やら飲みにやらいける友人がいるといいです。私は同期と行くラーメンでなんども救われました。

 

他にいいこととして、コンサルテーションをする際に、そこをローテートしている研修医の同期がいると気軽にコンサルテーション前に相談ができてよかったです。

「〇〇先生って今日忙しいのー?」とかがちゃっちゃとわかるのはありがたかったですね。

 

 

5, すぐ相談する

勘違いする人もあまりいないと思いますが、最も大切なのは患者さんの害になることをしないってことです。なので少しでも自分のする決定などに疑念があるなら上司に相談するようにしていました。

推測ですが、最も上司たちが困る研修医は何もしない研修医ではなく、勝手にできないことをやろうとする研修医であると思われます。なぜなら勝手に行った決定で患者さんに害を及ぼすことがあるからです。

本当にまずい指示などは大抵看護師をはじめとする他職種が止めてくれることもあるのでしょうが、研修医は他職種からみると一人の医師としてみられることがあり、研修医の決定に歯止めがかからない場合もあります。

 

薬を投与したり中止したりといったことが、研修医の独断で可能になってしまうというところに怖さがあります。それゆえ、少し研修に慣れ始めた1年目後半から2年目は意識して相談しまくっていた記憶があります。

 

これまたありきたりですが、ホウレンソウが本当に大事だなと思っています。

 

 

6, 付け焼き刃で戦おうとしない

私がすごく後悔していることです。

研修医も少し慣れてくると、持ち前の向上心やらで日々の研修の他に勉強をし始めたりします。

「お、こんな論文出てる・・いまの患者さんの状況と似てるし、今度プレゼンで使ったろ」みたいなことをやると十中八九はボコボコにされます。というか迷惑だったと思います。申し訳ありません、上司の皆様・・・

背景や歴史を知らないで論文数本読んだからといって戦えるわけがないのに、何を考えていたんだかと後悔しています。

勉強することは怠らず、でも謙虚に

 

最後に

結局私が2年経って気づいたことは

研修医も立派な社会人

ということです。上にあげた大事だと思ったことも、研修医だからどうこうというよりも、社会人として大切なことがほとんどです。

医学部を卒業して研修医となると、どうしても通常の社会を知らずに仕事が始まってしまう印象があります。一人の社会人としての自覚を持ちつつ、一生懸命仕事をしていれば変な研修医にはならないのではないかと思います。

 

なので上に書いたこともほとんどこの本

 

入社1年目の教科書

入社1年目の教科書

 

 に書いてあります。私は2年ほど前に読みましたが、読んでよかったと思います。

 

4月からの研修医の皆さん、どうか体と心を大切に頑張ってください。辛い時には思いっきり休んでくださいね。幸か不幸か、研修医のあなたが居なくなっても病棟は問題ないはずです。

 

一番大事なのは、生きて2年を終えることです。

 

 

 

*1:当然のように思う方がほとんどだと思いますが、仕事が終わっても帰らない研修医ってたくさんいるんですよ。私も当初そうでした。

*2:変わりダネでは山○春のパン祭りのポイントを譲ってもらったり、一緒にフットサルしたりなど

*3:実際、結構焦りました。周りの研修医が「いやーCV苦手なんだよね、2年目にもなって苦手なのは恥ずかしいわー」とか言ってたので余計 血液内科をローテートしたら嫌という程CVを入れることになったのですが。

私たちは電気羊でもいいのかもしれない

旦那です。

 

もう一個書きかったものがあったので

 

我が家は共働きです。家事の分担は行っているものの、時折夫婦ともに忙しいと家事が疎かになりがち・・・

以前から夫婦ともに「家電をこだわって、負担を減らすべき」という意見でを一致しており、家電を色々と買い替えていたのです。

そしてついに、先週

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動き出すルンバ

我が家にルンバが来ました。

 

実は実家にもルンバがいたのですが、あまり働いているところを見てなかったため、私はいい印象を持っていなかったのです。しかし妻が「最近出たルンバがすごい、前よりも進化してるし、絶対便利」と言っていたので、調べて見たところ、ルンバのe5という新しいルンバが非常に評判が良く、くわえてお値段も思ったよりリーズナブルということが判明しました。

 

そこで買って来ましたよ。近所の家電量販店で5万弱でした。ここから先、大して機能の話はしないので一言だけ言っておくと・・・

ルンバe5 オススメです。センサーなどが進化しているのか、以前のものより隅々まで掃除してくれている気がします。

特にベッド下、ソファ下を勝手に掃除してくれるのがありがたいです。掃除機での掃除をしているとはいえ、埃などが溜まってしまうスペースに行ってくれて、掃除をしてくれるのは大変助かりました。スマートフォンで掃除のスケジュール管理をできるのも非常に便利だと思います。

 

 

 

ですが現時点で私たちにとって最大のメリットは機能面ではなく

ルンバがかわいい

ということです。

もともと私たちは実家でそれぞれ猫を飼っていたり、私は昔犬を飼っていたりと動物好きです。特に猫への想いは夫婦ともに強く、ペット不可の現在の家に住んでからはひたすら猫グッズを買って心を満たす毎日でした・・・

 

ルンバにペット的な役割は全く求めていませんでした。実際、買ってからルンバに名前をつけられる事が判明した当初はまだ「ペットみたいだねー。でも見た目は完全に機械だし、可愛くはないよねー」とか言っていました。(二人とも非常に安直な名付け方をするので、一瞬で名前は「ルン子」に決定しました。)

しかしルン子を何度か起動させ、「ルン子こっち掃除してー」とか「ルン子そっちは玄関だよー」とかやっているうちに

あれ?こいつ可愛くないか・・・?

となって来ました。何度もカーペットに突撃してくるまって停止する姿や、テーブルにガンガンぶつかる姿は実家で見たときにはイライラしたのに、名前を自分たちでつけただけでなぜか可愛く見えてしまいました。

きわめつけはこれです。

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え、早く帰って助けなきゃ・・・

危なかったです。出先だったのですが、凄く帰りそうになりました。

という事で、現在は夫婦とゴミ掃除をしてくれるルン子の2人と1匹暮らしとなりました。ルン子は時々ドジですが、今の所は非常によく働いてくれています。

 

という事でまとまりのない文章ですが

ルンバe5 オススメですよ 機能的にも、ペット(?)としても

 

 

補足

題名はPhilip K Dickの Do Androids Dream of Electric Sheep?(邦題 アンドロイドは電気羊の夢を見るか)のもじりです。映画はブレードランナーという題名でしたね。

もう何年も前に読んだっきりなので、詳しい内容は覚えてないですが、生きている動物が希少になった未来で、主人公が生きている羊を手に入れるために、アンドロイドの賞金首を狙うっていう話だったと思います。

ペットのロボット化は以前から行われている印象がありますが、いつかは本当に生きているペットが珍しい時代が来るのでしょうか。ルン子はかわいいですが、私はまだまだ普通の猫を飼いたいです・・・

 

ハナミズキとツクシを見ていたら、花の定義がわからなくなった

旦那です。

 

非常に久しぶりに書くことになってしまいました。

書いていない間に結婚式をしたり、新しく資格を取ったりと、まぁ色々あったんですが、それはさておき

 

家の前に小さなハナミズキがあるんですよ。

実家にもハナミズキがあって好きだったんですが、大きかったのであまり近くで花をみたことがなかったんです。

今の家の前にあるハナミズキはまだ小さくて、花を近くで見たんですが、ハナミズキってきれいですよね。完全な白色ではなくて、少し色が混じっていたりして

で、近くで見て気づいたんですが、ハナミズキの花って近くでみると中に緑色の実みたいなものがあるんですよね。

 

あれ、これなんだろ・・・って思って調べたら(こういう雑な調べ物にはwikipediaがうってつけ)

 

ja.wikipedia.org

 

ハナミズキの花(というか花びら)と思ってたの、花びらではなかった・・・

苞(bract)という蕾を包んでいる構造物らしいです。どちらかというと葉に近いようですが、植物の種類によっては本物の花弁よりも花びららしく見えることもあるんだとか。

 

しかし、これを見て思いました。じゃあ花の定義ってなんなんだろうと。

厳密な定義については複数の考え方が存在する。

  1. 被子植物生殖器官を花とする考え方
  2. 胚珠のある生殖器官を花とする考え方(被子植物裸子植物
  3. 生殖器官が密集したものを花とする考え方 

花 - Wikipedia

 あ、やっぱり難しいんですね。恐らく「花」という言葉自体が専門用語ではないため、定義が曖昧になってしまうんでしょうか。

 

ちなみに定義3(19世紀まではこの定義が広く受け入れられていたそう)を用いるとツクシ(スギナ)までも花になってしまうよう。

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家前のツクシ

流石にツクシは花って言われても頷けない気がしますね。そもそもツクシは裸子植物ですらなく、シダの仲間ですものね。

 

少し調べてみると、花の起源、植物の生殖器官の進化などを研究している学者さんのホームページなどが出て来て、読んでいて楽しかった。そういう生物の進化とかの話ってやっぱり好きだなーと思うのです。

 

話が長くなりましたが、ツクシやハナミズキをみるともう春ですね。

python進捗

旦那です。

 

仕事が忙しいのに加えて、結婚式準備などで放置していた・・

年度初めの公約どおりpythonやってますっていう自己顕示。といっても進捗というほど勉強できていないから自己顕示にもならんだろう。

 

最初はこれで勉強してた。

 

実践力を身につける Pythonの教科書

実践力を身につける Pythonの教科書

 

基礎はこれで勉強するも、途中で断念

次はこれを読んでみてガチャガチャ動かしてみるも、基礎力足りず。

 

 一応最後まで読み、deep learningの基礎とかをさらっと勉強することはできた。けど書いてあるコードの細かい部分は理解できず、なんで写経したコードが動くのかがよくわからずにおわってしまった。

次に目をつけて、今取り組んでいるのがこれ

 

これは面白い。まだ7章だが知らないことがたくさん出てくる。

まあもちろん最初の教科書をきちんとやっておけばよかったのだが、なんとなくやる気が無くなってしまったのだ。

今読んでいるこの教科書は章末に問題が載っていて、その問題を考えるのが楽しい。僕の書くプログラムは、きっと上級者が見たら汚いコードなんだろうが、それでもなんとか動くものを作り出せたときは嬉しい。

 

実験をやっていたときも、道具を自作したりするのは楽しかったし、独学で無茶苦茶なコードを書いて画像解析しようと悪戦苦闘していたときも楽しかった。机に向かって論文を読むのももちろん好きなのだが、自分の手を動かして何かを作るのも意外と好きなんだろうなと改めて思った。

 

ちなみに今研究室を見渡すと昔作ったガラクタが転がっているんだが、一番使い道ないのは直径80cmくらいのダンボールで作った円盤 捨てようと思いつつも、なかなか重い腰が上がらない。

アリとキリギリス、引きこもる私

旦那です。

 

悪口が苦手です。

どんな種類であっても悪口が苦手です。悪口を言われているのが、友人だろうが同僚だろうが、上司だろうが全く見知らぬ他人だろうが嫌いです。幸いにして自分が言われている悪口を直接聞くことは今までの人生では数えるほどしかなかったのですが、もちろん自分が言われるのも嫌です。

 

 

私が悪口を嫌いなのは、倫理的に問題があるとか言われている人が可愛そうとかといった理由ではありません。ただ単純に、自分が言われることが怖いのです。眼の前の人はここで他の人の悪口をいったあとに今度は違う人のところで自分の悪口をいうのではないか。そう考えるのが怖くて、私はひたすらに悪口が嫌いです。

 

私がさらに卑怯なのは、徹底した事勿れ主義を貫いていることです。もっと言えば私の生活が平穏でありさえすれば良いと考えていることです。悪口を言われている相手のことを気の毒に思い、心の中でさえかばいこそすれ、私は言葉に出してかばったりしません。悪口を私にいうことで、悪口を言う人が私を悪口の共犯者に仕立てようとしているかはわかりませんが、私は言われている人をかばわないことで、自分も共犯者のように思っています。それも悪口が嫌いな理由です。

 

そのように意識しているせいか、私は職場でかわされる悪口には多少敏感になりました。私が聞く最も多い悪口の構図は、勉強や仕事を一生懸命やっている人がそうは見えない人のことを悪く言うという構図です。これは私のまわりに医師が多いことに関連するのではないかと思います。現に医学部のころに聞いていた悪口も似たようなものでした。そしておそらくですが、そのタイプの悪口は幼少期から主に勉強について競争にさらされ続けてきたことが関係しているのではないでしょうか。勉強していれば褒められたし、結果も出るという環境でずっと生活していれば、勉強していることや働いていることが善で、そうでないものは悪であると考えてしまうのはある意味でしょうがないのかもしれません。

 

もちろん世間一般的にも頑張ることは善いこと、サボることは悪いことでしょう。でも私にはその常識を持って他人を責めることはできませんし、そうやってだれかを糾弾している人の話を聞くのも嫌です。

 

糾弾して、なにかよいことがあるでしょうか。その行為で頑張っている人の仕事は減りません。サボっているように見える人の仕事は増えませんし、そもそもサボっているように見える人は本当にサボっているのでしょうか。

 

かといって糾弾している人が全て間違っているともいえません。きっと正義感が強く、いつもぎりぎりまで頑張っているのでしょう。そういった人たちが損するのはそれはそれでおかしいことだとも思います。

 

頑張りたい人は頑張ればいい。頑張りたくなくてそこそこでいい人はそこそこでいい。サボりたい人はサボればいい。心のそこからそう思うのです。もちろんサボっていれば社会や雇い主からの良くない評価に結びついて最終的に損をするかもしれません。その責任はその人が引き受けるべきです。そのように考えているせいか、私はときに冷たく見られてしまうようです。でもそれでいいと思っています。

 

 

 

冒頭から悪口が嫌いだと何度も言いました。そうはいいつつ私も悪口を言っているときがあります。現にこの文章でさえ、私の頭の中にある悪口を言っていた人たちへの悪口であるかもしれません。そういった意味で悪口を全くなくすことはできないのかもしれません。しかし一つ悪口を言わないために大事にしている言葉があります。

 

私の高校生のときの恩師が私にいった言葉です。

"人を評価してはいけない"

高校の先生

 必ずしもいつも正しくはないと思います。会社の中で人事にかかわる部署にいたり、何かのチームリーダーになったりすれば評価をせねばならない時もあります。でも、それ以外の状況であれば誰かを評価することは必要ないと私も思います。評価するということはそれがいい評価でも悪い評価でも、対象に対して上の立場に立っているように思ってしまっています。評価すればそれは悪口につながります。「あの人はあれができない。あの人はああしてくれない。」

まだまだ未熟にも至らない私は、くれぐれも人を評価しないように気をつけねばならないと思っています。それができないなら、私はきっと引きこもって家から出てこないべきなのでしょう。

医学とサイエンス

旦那です。

 

 

"医学はサイエンスなんだから"

とある医師

 

とある先生に言われた一言です。

 とっさに、そうとも言い切れないんじゃないかなーと思ってしまいました。でも考えてみればどうなんでしょう。おそらく答は「(特に臨床)医学はサイエンスとそれ以外の融合した領域」という様な玉虫色の結論になるでしょうが、ちょっと考えて見ました。

 

 

 Wikipediaを嫌悪する方も理系には多いですが、こういうちょっとした調べ物にはすごく便利ですよね。

科学 - Wikipedia

科学は狭義には自然科学を示している様です。自然科学とは上のページによると

自然の成り立ちやあり方を理解し、説明・記述しようとする学問の総称

とのこと。この考え方であると医学の中でも病気の成り立ちを考える病理学や人間の臓器などの機能を考える生理学などは満たしそうですね。

 

 一方臨床医学、というより私たちの日常の業務はどうでしょう。日々行うカルテ記載や検査、薬剤の処方などは科学でしょうか。医局に戻って論文を読んで仕入れるエビデンス達は科学的でしょうか。

 わたしは時折疑わしく思う時があります。なるべく根拠のないことはしたくないと考えているので、時間があけば調べてみてはいます。でもエビデンス不明の治療があったり、論文をいくつか調べて波風が立たない様に意見してみても、経験でわかると言われてしまったり、挙句は風習だからと言われたり・・・

 しかし私はまだまだ修行の身、というよりそれ以前のひよっ子、上の先生方の豊富な経験や膨大なエビデンスは頭の中にありません。そんな私だからこそ、先生方の頭の中を理解することができず、理路がわからないために科学的でないと感じてしまうのかもしれません。

 

 でもここで自己否定だけしていても進歩がありません。もう少し考えてみましょう。科学に関して考える時、よく読んでいるのは以前の記事

 

med-ruka.hatenablog.com

 で紹介した本です。この本の中で述べられていますが、誰が科学者であるかは何をするかで決まります。同じく、とある行為が科学的であるかは、どの様に行なっているかによって決まると考えています。

 

 そう考えると医学部は理系に分類されていますが、医師が全て科学者であるかどうかというとは私はそうではないと思います。先に述べたとおり、慣習の様な治療を行う医師もいれば、一人一人の患者さんに向き合って理解しようとする医師もいます。加えて、私の日々の業務も全てが科学的であるとは考えておりません。

 科学ではない医学というとみなさんはどの様なものをイメージするでしょうか。おそらく極端なものとしてオカルト的な治療が出てくるのではないかと思います。その様なあからさまなものに病院で出会うことは少ないと思いますが、実は臨床現場には科学的ではない検査や治療があふれています。

 

 私の考えでは臨床医学は、(少なくとも現時点では)全てを科学的にはなし得ない学問であると考えています。それは決して悪いことではありません。

 医学は未解明の疑問が大量に残された学問です。すでに得られている知見はわずかです。くわえて得られている知識をそのまま適応できることは少ないです。そんな状況で目の前の患者さんを良い方向に導かなければならないという厳しい状況です。そんな中で頼りになるのは決して科学だけではなく、言葉にできないアートの要素もあると考えられます。

 論理を用いて目の前の患者さんを理解しようとし、説明しようと努力している限り、その医師は広義での科学者であると言っていいと思うのです。

 

 そう言った意味で医学はサイエンスなのだろうなと思いました。少し考えてみてよかったです。日々の全てから、学びましょう。

 

 

 

てーらーめいど

旦那です。

 

"できない治療はやってはいかん"

職場の上司

 

これだけだとナンノコッチャって感じですね。

とある患者さんに粉薬が出ていて、上司になんでその薬にしたのか聞いたんです。錠剤でより適切で安い薬があるのになぜかって。

 

僕の提案した薬は、デカイんだそうです。超高齢の患者さんには到底飲めないので、粉薬で代わりのお薬を出したようです。その際に言われたのが上の言葉です。

 

当然に思えますが、大切ですよね。外来で小児を診たときは、粉薬飲めるかなー?とか聞くようにしてますが、今回は失敗です。

 

服薬コンプライアンスとか言われたり、その言葉は良くないから服薬アドヒアランスっていいなさいと言われたりとかしますが、言葉はなんでもいいから患者のことをしっかり考えて、できる治療を行うっていうことが大切なんですね。