理系夫婦のうたたねブログ

理系夫婦が好きなことを書いていきます。たまに医学っぽいことを書いていますが、あくまで私見です。

一晩の徹夜の代償

先週は忙しかった・・・という言い訳

たまにはヒトの論文を

www.pnas.org

そこそこ話題になった気がするので、ご存知の方もいるかもしれませんね。

 

睡眠が何のためにあるかというのは、非常に難しい問題です。未だにはっきりとした答えはなく、睡眠学の最大の問題の一つであるといえます。もちろんいくつかわかっていることはあります。例えばノンレム睡眠中の記憶の固定化などはよく知られています。そのほかにあまり一般に知られていないものとして脳の老廃物の排泄という機能があります。

 

発端は2013年Scienceに掲載された論文でした。一般的に体の中でできた老廃物の一部はリンパ系を介して排泄されます。一方で脳内には明確なリンパ系がないため、神経細胞の活動によって生成された老廃物を捨てる経路についてはあまりわかっていませんでした。2013年の論文では神経細胞が髄液に老廃物を捨てていることを示していました。加えて睡眠中には神経細胞周囲のグリア細胞が「縮む」ことでより多くの髄液が神経細胞周囲に行き渡り、老廃物を効率的に除去していることを示唆したのです。感覚的な説明にはなってしまいますが、睡眠中には脳は自身を洗浄しているという説明をされることもあります。

老廃物と言ってもピンとこないかもしれませんが、この論文がもっとも注目されているのは疾患との関わりです。アルツハイマー病をはじめとしたいくつかの神経変性疾患は異常なタンパク質の蓄積によって起こります。アルツハイマー認知症アミロイドβというタンパク質が神経細胞に溜まることが発症に関わっているとされます。なぜアミロイドβが蓄積するのかというのはまだ完全にはわかっていないですが、通常の脳がアミロイドβを捨てる方法として先ほどのように睡眠中に脳を洗っているのではないかと考えられているのです。逆に言えば短い睡眠時間や、質の悪い睡眠によってアミロイドβが蓄積してしまい、それがアルツハイマー認知症の原因になっているのではないかと言われてきているのです。

確かにいくつかの論文では睡眠中には髄液にアミロイドβが多く排出されていることが示されたり、睡眠時間の短さや質の低い睡眠をしていると自己申告している人のアミロイドβの蓄積量が多いということが示されてきました。

 

短い睡眠時間が、アルツハイマー認知症に関連していると言われるとなんとなく、よく眠った方が良さそうですよね。僕もなんとなくそう考えてはいましたが、一方で当直などあるとなかなか眠れず、睡眠時間は短かったり、あまりちゃんと眠れない日々が続いていました。

でもなんとなく大丈夫かなと思っていたのです。なんせアルツハイマー認知症などを発症するのは一般的には中年以降であり、それまでの睡眠不足の蓄積が影響しているのであって、一日寝なかったからといって大した影響はないだろうと思っていたのです。

 

今回の論文はその考え方が一部間違っているという内容だったので非常に楽しく読みました。結論としては一晩の徹夜でも脳内のアミロイドβは増加しているようなのです。論文では被験者さんを睡眠をとる群と徹夜する群に分けて、PETを用いて脳内のアミロイドβ定量していました。これによると徹夜した群では海馬でのアミロイドβが5%増加するようなのです。

たった5%かと思うかもしれませんが、一般的に認知症の前段階の患者さんでは脳内のアミロイドβが21%、アルツハイマー認知症の患者さんでは43%増加していると言われていることを考えると、たった一晩の徹夜がもたらす5%という蓄積がかなりの量であるということがわかるのではないでしょうか。

他に面白い点として、アミロイドβの沈着する位置が特徴的でした。遺伝的な影響によってアミロイドβの蓄積量は人によって異なるのですが、その際に蓄積しやすい脳の場所と今回指摘された徹夜で蓄積しやすい場所は違う場所でした。

もちろん、徹夜で蓄積したアミロイドβがそのまま全て残り続けるとは考えにくいです。仮に残り続けたらたった8夜(!)の徹夜でアルツハイマー認知症と同じ量のアミロイドβが蓄積してしまいます。おそらく前述の脳を「洗う」機構によって大半のアミロイドβは流されるのでしょう。今回の論文はあくまで短期の睡眠不足によってもアミロイドβが蓄積することを示したのみで、そのアミロイドβが長期的な脳の機能に対して影響を及ぼしているのかどうかに関しては不明です。しかしこのような論文が出てくると、長期の睡眠不足によって脳内に老廃物が溜まっていき、最終的に破綻をきたすのではないかという仮説も頷けるような気がしてきます。

 

アルツハイマー認知症は難病です。よく病院にもいらっしゃいますが、ご家族も含め非常に苦労されている方がほとんどです。アルツハイマー認知症というと記憶が失われるという印象が強いかと思われますが、それ以外にもさまざまな能力が失われていきます。時にはそれにより、ご家族と患者さんの関係がうまくいかなくなってしまうこともあります。なんとか良い治療法や予防法がないものかと世界中で研究が進んでいる分野ではありますが、未だ決定的な解決策がないのが現状です。睡眠分野からアルツハイマー認知症をはじめとした変性疾患の治療や予防に関してのブレークスルーが起こることを望んで止みません。

 

ちなみにちょうど今僕は当直明けですが、昨晩は救急車も多くて眠れませんでした。つまり今の僕の頭の中にはアミロイドβが蓄積しているわけです。早く寝なければ・・・

 

 

背に腹はかえられぬ

本日も論文紹介

GWなので1日2時間ほどは論文読むのに使えて嬉しい

Satiety behavior is regulated by ASI/ASH reciprocal antagonism

Last authorはこないだ紹介した2008年に発表された論文のfirst authorですね。今は名古屋大学にいらっしゃるとのこと。

 

生物にとって大切な行動はいくつかありますが、食事というのは最も重要なものの一つである様に思います。3大欲求の1つに挙げられていることもそうですが、食事をしない生物というのも想像しにくいですよね。そもそも生物の定義にもよると思われますが。

生物は餌があればそちらに向かっていくべきですが、そちらの方に好ましくない環境があったとしたらどうでしょう。空腹の状態ならそれでも餌を食べにいくかもしれませんし、それ程空腹ではなければ食べに行かないかもしれません。

 

線虫のASIという神経がSatiety-induced quiescenceに関わっていることは以前から積極的に調べられてきました。その結果からはASIが行動選択に関わっている事が示唆されています。ASIは外界の栄養に反応して興奮しますが、その反応は高濃度のNaCl(線虫にとって好ましくない)によって減弱する事がわかりました。反応の減弱はASHという神経の興奮によって起こっているという事もわかりました。

つまり線虫は栄養が周りにあるとASIが興奮してQuiescentな状態となり、その場で食事をする食べようとしますが、周囲のNaCl濃度が高くて好ましくない環境だということをASHを介して察知するとASIの興奮が抑えられるということです。

この反応は生存に重要です。もし線虫が餌だけに反応していたら、悪環境にある餌のところに行ってしまう事もあるかもしれません。線虫は上記の機構によってより良い場所にある餌を求める事ができるのです。

加えて、線虫の栄養状態によってもASI, ASHの興奮特性は変化することがわかりました。空腹の状態ではASHの反応は減弱する傾向にあることがわかったのです。

 

人間でいうとなると何でしょう。空腹状態では多少遠くてもコンビニやスーパーに行って食材を買い求めるというところでしょうか。我ながらあまりうまくない例え・・・

睡眠という外界から遮断された状態

今日の論文はこちら

Analysis of NPR-1 Reveals a Circuit Mechanism for Behavioral Quiescence in C. elegans

線虫の睡眠研究が盛り上がりを見せていた2013年の論文です。

 

私たちヒトも含め、生物は睡眠中に外界を認識することができません。外界を認識するというと、私たち人間は視覚情報のことを思い浮かべがちですが、生物は様々な情報を用いて外界を認識しています。今私は音楽を聴きながら、部屋で一人でコンピュータに向かい、この記事を書いています。目からは自分のコンピュータとその向こうに部屋と、窓の外には洗濯物と青空の画像が入力され耳からは歌手の声が入力されています。足と臀部の触覚からは私が座っていることを認識できます。鼻は少し詰まっていて感覚が鈍っていますが、わずかにコーヒーの匂いがを捉えています。

では、今急に私が寝てしまったらどうでしょう。先ほど書いた全てを私は認識できません。「そりゃ睡眠中は意識がないんだからそんなことは当然だろう」と思ってしまいがちですが、ちょっと考えてみると不思議な話です。眠っていようが起きていようが、私は今座っていて、コーヒーの匂いは部屋に漂っていて、耳からはお気に入りの歌手の声が入っています。眠っているとこれらが認識できないのは、どういう理由なのでしょう。たとえば触覚は末梢の感覚器から脊髄を上行して脳に至って処理されます。睡眠中はそのどこで感覚の遮断が起こるのでしょうか。

安直に考えるのなら、睡眠は脳で起こることだから感覚遮断は脳に入ってからの情報処理の段階に起こっているのだろうと考えられます。具体的にいうなら嗅覚以外の感覚なら視床以降の処理について、睡眠中には変化が起こるという考え方です。この考え方は受け入れやすい一方で少し古いかもしれません。

いくつかのモデル生物では既に、感覚ニューロン自体が興奮する閾値自体が睡眠状態では上昇することが知られています。さらに神経系以外の筋肉などでも変化が起こっているとする論文もあります。

これはいささか受け入れにくい実験結果かもしれません。睡眠というのは脳の状態の変化であり、寝ている間も他の臓器は変化していないというのが一般的な考え方である思われます。しかし、一方でより最近のトレンドに乗っている考え方でもある様に思えます。

 

ごく最近のNHKスペシャル

www.nhk.or.jp

でもありましたが、生物の臓器同士は常に様々な情報をやりとりしています。脳が睡眠状態になった時、全身の臓器も何らかの情報を受け取って全身の状態に変化が起こったって何も不思議ではないと思われます。

 

話が壮大になってきましたが、今回の論文は睡眠中の覚醒閾値(arousal threshold)を制御する神経ペプチドがあるかもしれないという論文です。

 

ヒトでも神経ペプチドは重要です。睡眠関連ではオレキシンが有名どころで、既に薬にもなっていますが、C. elegansでも神経ペプチドは重要な役割を果たしています。筆者たちはそれを踏まえた上でnpr-1という神経ペプチドのレセプタに着目しました。npr-1の機能欠損変異体は酸素やフェロモンへの反応性が増強されることが知られていました。そのため筆者らはnpr-1が感覚への反応性を調節しているのではないかと仮説を立てたのです。npr-1がその様な機能を持つとしたら、睡眠中の覚醒閾値(arousal threshold)を制御しているとも言えるかもしれません。

最初にnpr-1の機能欠損変異体の睡眠様行動を計測したところ、ほとんど眠っていないと言う結果になりました。この結果は非常にインパクトがありました。なんといっても野生型線虫の17倍起きているという結果だったのです。この結果をもって、時にnpr-1の機能欠損変異体は「眠らない線虫」と言われます。(「時に」とつけたのには理由があります。深くは語りませんが)

次にnpr-1の多型やリガンドの話になるのですが、あまりインパクトのあるデータは出てこない印象です。リガンドとしてFLP-18, 21が挙げられているのですが、ほかにもリガンドがありそうな気がします。

npr-1の機能している場所としてRMG circuitと言うのが出てきます。これはRMGという介在ニューロンからgap junctionで接続しているいくつかの介在ニューロンや感覚ニューロンをまとめた回路のことです。彼らの提唱した仮説ではnpr-1が存在しないとRMG circuitの活動が増強されます。RMG circuitの活動によりPDF-1という覚醒に作用する神経ペプチドが分泌され、覚醒がもたらされるというのです。PDF-1という神経ペプチドショウジョウバエで睡眠に関わっている事が知られていたのでそれと繋がっているというのは面白い視点です。

PDF-1が末梢の神経での変化にも関わっているというのが興味深い結果です。睡眠様行動中には感覚ニューロンの反応性が鈍くなります。筆者たちはこの変化にnpr-1pdfr-1が関わっている事を示しています。誤解を恐れずにいうのなら、PDF-1により能動的に感覚ニューロンの反応性を落とす事で睡眠様行動の維持を行なっているということを提唱したいのだと思われます。

流れとしては

FLP-18や21(それと他のリガンド?)→NPR-1がRMG circuitでのPDF-1分泌の抑制→末梢の感覚ニューロンの反応性が下がる→睡眠様行動の維持

と言うところでしょうか。

 

ストーリー立てが面白い論文でした。最初に読んだのは5年前になるわけですが、その時にはこんなに面白いとは思っていませんでした。やはり読み直してみるものですね。

 

今年度の目標

遅ればせながら、4月より2年目の研修医となりました。

現在は救急科で心をすり減らしております。とりあえず3連休は2日仕事です。明日は当直もあるので30時間連続勤務です。

 

今年度の目標は

1, 線虫の論文を週に1本は読む。

2, プログラミングを勉強して、画像解析をより多面的にできる様にする。

3, 研修を生きてやり終える。

です。勿論、平日や休日もほとんどは医学の勉強に当てていますよ。残った余暇の時間を線虫とプログラミングに振り分けているのです。

ちなみに勉強している言語はpythonです。理由はラボの他の人がpythonを使っているからです。

頑張ろう!

睡眠のリズム

今日紹介する論文は

The neuropeptide NLP-22 regulates a sleep-like state in Caenorhabditis elegans

という論文です。

神経伝達物質にはたくさんの種類がありますが、低分子量伝達物質と神経ペプチドの大きく2種類に分けることができます。アセチルコリンやカテコラミン類、GABAなどは前者に、メラトニンオキシトシン、プロラクチンなどは後者に属します。一般的に伝達物質というと低分子量伝達物質のことばかり勉強する気がします。それは恐らく、低分子量伝達物質のほうがより直線的な関係での伝達に関わっているからでは無いかと思われます。非常に感覚的で、科学的ではないですが、「アセチルコリン」と言われてもなんの印象もないですが、「メラトニン」と言われれば頭の中には「サーカディアンリズム」という言葉が浮かんできます。神経ペプチドというのは放出されれば次のニューロンを興奮させたり、抑制させるといった単純な伝達物質というだけでなく、生物の行動に深く関わるものだと思っています。実際に神経ペプチドは効果器が神経だけではないことも特徴である気がしますし。

 

今回の論文はC. elegans神経ペプチドの一つ、NLP-22についてです。論文の最後にはNLP-22が哺乳類のNeuromedin Sとの相同性を持つことを述べているのですが、恥ずかしながらNeuromedin Sについてほとんど知らなかったのでそれについても勉強しながら紹介してみます。

 

睡眠様行動に関わる分子の探索の時の取っ掛かりはいくつかありますが、比較的理解しやすくてなおかつ実現しやすい方法として、睡眠様行動中に発現が変化する分子を調べるという方法があります。特にC. elegansの一番有名な睡眠様行動であるLethargusはタイミングが脱皮直前に限られるため、様々な発達段階のC. elegansを集めて来てそれぞれのmRNAの量を比較してみれば、Lethargus中に発現が増加もしくは減少する分子は同定できるわけです。筆者達はnlp-22の発現がLethargus中に減少することを示しました。nlp-22はRIAという介在ニューロンから分泌される神経ペプチドであることがわかり、神経と神経以外に働きかけて睡眠様行動をもたらすという結論になっています。実際にnlp-22をheat shockヒートショックで異時性に過剰発現させると2時間後の以降の睡眠様行動が認められました。このことから考えるとnlp-22はheterochronicな遺伝子から睡眠の実行系をつなぐ架け橋の様な役割をしているのではないかと考えられます。

 

非常に簡単な疑問ですが、「なぜ夜眠くなるのか」という疑問に完全に答えることは今の生物学の知識ではできていないと思われます。勿論、昨年ノーベル賞を受賞したサーカディアンリズムについての研究は非常に進み、リズムの実態はわかりました。さらに最近の研究では睡眠や覚醒の実行系に関しても多くのことがわかって来ました。しかし「眠気」とはなんなのかという事に関しては現時点でもほとんどが分かっておりません。つまり「夜眠くなって寝る」という現象を分解していくと「朝と夜というリズムがあり、今は夜である→眠気を感じる→寝る」となります。この最初と最後に関してはよくわかって来ているけど中間がわからないということです。

 

僕は哺乳類の睡眠はあまり詳しくありませんが、C. elegansでも眠気の分子実体に関しては精力的に研究がなされています。その中で筆者たちはnlp-22が先ほどの中間にあたると考えたのではないかと思います。

 

個人的にこの論文のデータで最も興味深いのはnlp-22のloss of function変異体では睡眠様行動が「浅くなる」だけでタイミングがズレない点でした。つまりnlp-22はheterochronic geneの制御を受けて睡眠様行動の深さを制御していると考えられます。これはすなわち、生体内の時計が睡眠を制御している例の一つと言えるかもしれません。

ただし勿論いくつかの問題点は残ります。この論文ではnlp-22のタンパク質の下流は明らかとなっていませんから、C. elegansの睡眠の実行系(RISなど)との関連はわかりませんし、そもそもRIAがどの様に働いているのかも明らかではありません。実験の手法にも難点があります。この論文では過剰発現の方法としてheat shockを使っていますが、一般的にC. elegansはwild typeでもheat shock後に睡眠様行動をとります。勿論ネガティブコントロールは取ってありますが、解釈には注意が必要であると考えられます。

 

論文の最後の方はneuromedin Sとの関連の話になっています。2005年に発見されたNeuromedin Sは哺乳類では視交叉上核(SCN)の神経に強く発現している分子です。Neuromedin S のSはSCNからから取られたもののようです。哺乳類ではサーカディアンリズムの上流にあるのか、明暗リズムによって発現が増減するということも知られている様です。2015年には視交叉上核の神経の中でもNeuromedin Sを発現している神経が概日リズムを作り出すのに不可欠であるという論文がNeuronに出ています。

そもそも本当にホモログなのかもわからないですが、そうだとしたら生体リズムを作り出す分子に相同性があるということで、面白いなと思います。

 

サーカディアンリズムと睡眠は切っても切れない関係にあると思われるので、これからもしっかりと勉強していきたいところです。

 

 

 

便利なGMP

今日の論文は

www.genetics.org

です。2006年とだいぶ前の論文です。

cyclic GMPといえば細胞のシグナル伝達のセカンドメッセンジャーとして有名ですね。そしてPKGというとcGMPの下流に当たる分子ですが、この辺の経路は分子生物学のどの分野の論文を読んでも出てくるんじゃないかってくらい、どの細胞でも重要な役割を果たしています。C. elegansでも寿命、産仔数、身体の大きさ、行動、耐性幼虫化など多方面に関わっております。

2006年までC. elegansのPKGのmutantというとloss-of-function変異体しか知られていなかったのですが、この論文はgain-of-function変異体を単離したということで書かれています。

線虫のegl-4という遺伝子のコードするタンパク質は哺乳類のPKGⅠと相同とされています。以前まで知られていたloss-of-function変異体では寿命がのび、卵の数が増え、体が大きくなり、食物があっても活発に動くという特徴が報告されていました。この論文で報告されたegl-4(ad450sd)という遺伝子を持った線虫はそれらの真逆の性質を持っていました。

簡単に考えるなら、egl-4(ad450sd)という遺伝子を持った線虫の身体の中ではPKGの作用が増強していると考えられます。しかし、それにはいくつかの可能性があります。例えば、EGL-4の蛋白量が増えているのか、作用が増強しているのかなど。前者の場合にはmutationは遺伝子の制御領域に入っているかもしれませんし、後者であれば活性部位に入っているかもしれません。その辺りを詰めて行くというのがメインになってきます。double mutantをつくったり、タンパク量定量を行なった結果、ad450sd変異はGMP binding siteの変異であり、タンパク量は増えていないことがわかりました。

 

僕は医学部を卒業したので(それは言い訳に過ぎませんが)、分子生物学の基礎があまりないため、なかなかシグナル伝達をしっかり理解することができていませんし、そもそも遺伝学もあまり理解できておりません。そのせいかcGMPの様に多様な作用をもつ分子の変異を全身に起こすと、話が複雑になりすぎてついていけません。そもそもcGMPなどになると下流が広がりすぎて、調節性が悪いのではないかと思ってしまいます。

 

まとまりの無いひどい紹介ですが、この論文のfirst authorであるDr. Raizenはこの2年後にNatureに線虫の睡眠についての論文を出します。その辺りから線虫の睡眠研究が本格的に始まって行きます。最初に同定された遺伝子として挙げられているのがegl-4なのです。その割にはegl-4から睡眠に到るまでの経路に関してはあまり研究されていないような気がしますが、僕の勉強不足かもしれません。それかやはり下流が広がりすぎて収集がつかないのかもしれません。

 

 

食後は眠い

「春眠暁を覚えず」という言葉は春の朝寝の気持ち良さを表した言葉だと思っておりますが、春は食後の眠気もひとしおな気がします。最近は昼食をやや少なめにして、コーヒーを飲むことでなんとか昼食後の眠気と戦っています。

食後に眠くなるのは、小さい頃はよく「食べた後には胃に血が行くから頭に血が行かなくなって眠くなるんだよ」とか言われたものですが、これはどの程度正しいんでしょうか。哺乳類のことはあまりわかりませんが、食後の眠気の理由が血流だけではないことはわかります。おそらくいくつものホルモン(その最たるものはオレキシン)が関与していると思われます。

ヒト以外の他の生物も、食後の満腹な時には眠気があるようですが、実は線虫にも食後の眠気があると言われています。

最初に報告されたのは2008年

Insulin, cGMP, and TGF-β Signals Regulate Food Intake and Quiescence in C. elegans: A Model for Satiety

という論文でした。線虫は基本的には一生涯食事を続けていますが、特殊な条件下では食事をやめて動きをとめます。特殊な条件下というのが、美味しい(成長に利するような)大腸菌を食べた時や絶食後に食事をした時であると示したのが上記の論文です。

動きを止めるのにはInsulin, cGMP, TGF-βが関わっているということも明らかにしました。Insulinはいうまでもなく、食後に分泌が増加するでしょうからある程度の予想はつきますが、TGF-βの関与は意外でした。TGF-βといえばやはりCancerの分野でよく聞く分子だったので、まさか線虫の睡眠に関わる論文を読んでいて出てくるとは思わなかったのです。しかし2013年に出た次の論文である

ASI Regulates Satiety Quiescence in C. elegans 

も合わせて読むとTGF-βから下流のSMADsまでがかなり重要であることがわかります。

 

抽象的な表現にはなりますが、食後に眠くなるということは野生の生物にとっては重要だと思われます。生物にとって食事をすることは最も大切なことの一つであり、なおかつ食物が常に潤沢にある状況はほとんどありません。食べる時に食べて満腹が続く間はエネルギーを温存し、食べていない時にはエネルギーを消費して必死に食物を探さなければなりません。つまり自分が栄養的に満ち足りているかどうかで行動選択の基準を変化させなければならないのです。

上の2本の論文の著者ら(ちなみに1本目のfirst authorが2本目のlast authorです。)は線虫のASIという感覚神経が外界の栄養を感覚し、TGF-βを分泌すること。TGF-βがRIM とRICという介在ニューロンを介した経路を通じて、動き続けて食べ続けるのか、動きと食事を止めるのかという行動選択に関わっていることを明らかにしたのです。もちろんこのような線形のsignaling pathwayだけではなく、より複雑なpathwayが存在することが想定されますが、外界の入力から行動選択までという一連の流れを一通り明らかにするこの2本の論文は読んでいてもすっきりして面白いと思います。

 

ちなみに論文内では食事をやめて動きを止める行動を"Satiety induced quiescence"と呼んでいますが、これは日本語に訳すと「満腹後の静止」となります。2008年といえば線虫での睡眠研究の黎明期であり、まだまだ線虫が眠るということを言えるような状況ではありませんでした。この言葉にもその状況が読み取れます。