理系夫婦のうたたねブログ

理系夫婦が好きなことを書いていきます。たまに医学っぽいことを書いていますが、あくまで私見です。

睡眠という外界から遮断された状態

今日の論文はこちら

Analysis of NPR-1 Reveals a Circuit Mechanism for Behavioral Quiescence in C. elegans

線虫の睡眠研究が盛り上がりを見せていた2013年の論文です。

 

私たちヒトも含め、生物は睡眠中に外界を認識することができません。外界を認識するというと、私たち人間は視覚情報のことを思い浮かべがちですが、生物は様々な情報を用いて外界を認識しています。今私は音楽を聴きながら、部屋で一人でコンピュータに向かい、この記事を書いています。目からは自分のコンピュータとその向こうに部屋と、窓の外には洗濯物と青空の画像が入力され耳からは歌手の声が入力されています。足と臀部の触覚からは私が座っていることを認識できます。鼻は少し詰まっていて感覚が鈍っていますが、わずかにコーヒーの匂いがを捉えています。

では、今急に私が寝てしまったらどうでしょう。先ほど書いた全てを私は認識できません。「そりゃ睡眠中は意識がないんだからそんなことは当然だろう」と思ってしまいがちですが、ちょっと考えてみると不思議な話です。眠っていようが起きていようが、私は今座っていて、コーヒーの匂いは部屋に漂っていて、耳からはお気に入りの歌手の声が入っています。眠っているとこれらが認識できないのは、どういう理由なのでしょう。たとえば触覚は末梢の感覚器から脊髄を上行して脳に至って処理されます。睡眠中はそのどこで感覚の遮断が起こるのでしょうか。

安直に考えるのなら、睡眠は脳で起こることだから感覚遮断は脳に入ってからの情報処理の段階に起こっているのだろうと考えられます。具体的にいうなら嗅覚以外の感覚なら視床以降の処理について、睡眠中には変化が起こるという考え方です。この考え方は受け入れやすい一方で少し古いかもしれません。

いくつかのモデル生物では既に、感覚ニューロン自体が興奮する閾値自体が睡眠状態では上昇することが知られています。さらに神経系以外の筋肉などでも変化が起こっているとする論文もあります。

これはいささか受け入れにくい実験結果かもしれません。睡眠というのは脳の状態の変化であり、寝ている間も他の臓器は変化していないというのが一般的な考え方である思われます。しかし、一方でより最近のトレンドに乗っている考え方でもある様に思えます。

 

ごく最近のNHKスペシャル

www.nhk.or.jp

でもありましたが、生物の臓器同士は常に様々な情報をやりとりしています。脳が睡眠状態になった時、全身の臓器も何らかの情報を受け取って全身の状態に変化が起こったって何も不思議ではないと思われます。

 

話が壮大になってきましたが、今回の論文は睡眠中の覚醒閾値(arousal threshold)を制御する神経ペプチドがあるかもしれないという論文です。

 

ヒトでも神経ペプチドは重要です。睡眠関連ではオレキシンが有名どころで、既に薬にもなっていますが、C. elegansでも神経ペプチドは重要な役割を果たしています。筆者たちはそれを踏まえた上でnpr-1という神経ペプチドのレセプタに着目しました。npr-1の機能欠損変異体は酸素やフェロモンへの反応性が増強されることが知られていました。そのため筆者らはnpr-1が感覚への反応性を調節しているのではないかと仮説を立てたのです。npr-1がその様な機能を持つとしたら、睡眠中の覚醒閾値(arousal threshold)を制御しているとも言えるかもしれません。

最初にnpr-1の機能欠損変異体の睡眠様行動を計測したところ、ほとんど眠っていないと言う結果になりました。この結果は非常にインパクトがありました。なんといっても野生型線虫の17倍起きているという結果だったのです。この結果をもって、時にnpr-1の機能欠損変異体は「眠らない線虫」と言われます。(「時に」とつけたのには理由があります。深くは語りませんが)

次にnpr-1の多型やリガンドの話になるのですが、あまりインパクトのあるデータは出てこない印象です。リガンドとしてFLP-18, 21が挙げられているのですが、ほかにもリガンドがありそうな気がします。

npr-1の機能している場所としてRMG circuitと言うのが出てきます。これはRMGという介在ニューロンからgap junctionで接続しているいくつかの介在ニューロンや感覚ニューロンをまとめた回路のことです。彼らの提唱した仮説ではnpr-1が存在しないとRMG circuitの活動が増強されます。RMG circuitの活動によりPDF-1という覚醒に作用する神経ペプチドが分泌され、覚醒がもたらされるというのです。PDF-1という神経ペプチドショウジョウバエで睡眠に関わっている事が知られていたのでそれと繋がっているというのは面白い視点です。

PDF-1が末梢の神経での変化にも関わっているというのが興味深い結果です。睡眠様行動中には感覚ニューロンの反応性が鈍くなります。筆者たちはこの変化にnpr-1pdfr-1が関わっている事を示しています。誤解を恐れずにいうのなら、PDF-1により能動的に感覚ニューロンの反応性を落とす事で睡眠様行動の維持を行なっているということを提唱したいのだと思われます。

流れとしては

FLP-18や21(それと他のリガンド?)→NPR-1がRMG circuitでのPDF-1分泌の抑制→末梢の感覚ニューロンの反応性が下がる→睡眠様行動の維持

と言うところでしょうか。

 

ストーリー立てが面白い論文でした。最初に読んだのは5年前になるわけですが、その時にはこんなに面白いとは思っていませんでした。やはり読み直してみるものですね。