久しぶりの投稿になってしまいました。
忙しかったというよりも、なんか気分が沈んで寝てばかりいました。
医学系ラボにおける医師と研究者について考えてみました。
医学系のラボに於いて、医師と研究者がうまくやっていけないという話をよく聞きます。(私の周りだけではないと思います…)
もちろん原因は多岐にわたりますし、単純に気の合わない人がラボ内にいる場合もあるでしょう。その場合はお互い不幸だと思います。
理由の一つに、医師のプライドの高さが挙げられるのではないかと、思います。おそらく、ラボに入るタイミングが問題なのです。ラボに入る医師は大体が医師になって5年目以降です。その時期の医師は、ある程度病棟も任され、自分の科のことには自信がついてくるころなのではないかと思います。そんな医師がいきなりやったこともない実験をすることになります。
まるで研修医1年目に戻ったかのような無力感を感じるのではないでしょうか。
そこで、研修医1年目のようになにもできないことを認め、周りの人からいろんなことを学ぶことができればきっと良いのでしょう。
しかし、ラボにいるのはずっと年下の学生たちです。一度病棟に出れば誰もに頼られ、しっかりとした仕事ができるのに、ラボでは修士の学生にだって教えてもらわなくてはなりません。
プライドが邪魔して、うまく教えてもらうことができない人がいるのも、わからなくはありません。
でも、医師は無駄なプライドを持つべきではないと思います。僕らは(僕はまだほとんど医師ではないですが)別に絶対的に社会の中で偉いわけではないです。新しくラボにはいれば1年目の新人ですし、他のコミュニティでも同じことです。
いつまでも、誰かに教えていただくという気持ちを大切にして、生きていきたいなと思いました。人として。
色と医学
働いてると、いろんな色の表現を聞きます。
吐物が緑色だったとか、ドレーン廃液が淡血性だったとか
でも、色ってあくまで主観的なものです。看護師さんの赤が僕にとってのピンクであることは日常茶飯事ですし、まして淡血性なのか血性なのかなんて、基準がないので言ったもんがちみたいなところがあります。
この間ふと見つけた論文
色彩学的にみた看護職者の色表現方法の実態
は医療現場で使われる色の表現について考察しています。
これによると看護職では年数を経るごとに、色表現の数が増え、より専門用語での表現が多くなるんだそうです。1年目の方ではやはり、またそのままの色を表現することが多いようです。極端な話「ドレーン排液は赤いです」みたいな感じですかね。
経験を積むにつれて、血性やら乳びやらインジゴカルミンやらといった色そのものではなく、成分にまで言及した表現が出てくるようです。
筆者の方が考察されているように、より正しく伝達するにはおそらく定量的につたえることが必要になるでしょう。その場合には色相、明度、彩度を数値などで伝えれば正確に伝わるでしょうが、それをやるくらいなら写真撮るなりした方がいいですよね。そういったところで現場で生まれたのが専門用語による表現なのかなと思いました。色が正確に伝わらなくても、何が入ってそうかをみた人が推測してつたえてくれれば病態とかは正しく理解できそうですもんね。
簡単に、かつ正確に伝えることのいかに難しいことか
それにしても表中に出てくる淡々々血性とか淡々々々血性ってどんななんだか…
なんとなく昨年ヒットした映画の主題歌を思い出しました。
何かを知る
知ることは、楽しいことだ
知るということ自体も楽しいことであるのに加えて、何かを知るといつもの風景が違って見える
地質学が専門の父は、ある日食事に出かけた際に駐車場の砂利を見るとよく石の種類をぶつぶつと唱える。ぼくは医療ドラマを見ると、ぶつぶつと疾患名をつぶやいて家族や彼女に怒られる。
はたから見れば気持ち悪いのかもしれない。でもぼくはそちらの方が楽しい。
最近、日本酒の科学という本を読み始めた。
日本酒は昔から好きなのだが、正直よく分からずに適当に飲んでいた。
職場の先輩と何度か日本酒を飲みにいって、解説してもらったのをきっかけに、少し勉強してみようと思ったのだ。まだほとんど読んでないが、先日酒屋にいってみた。今まで名前しか見なかったラベルも意味ありげに見えてきたし、同じ名前の酒がたくさんあってなにが違うのかわからなかったが、少しわかるようになった気がする。楽しかった。
もっとよんで、勉強しよう。
そして、日本酒の他にも違うものを知ろう。
線虫と遊ぶ、線虫で実験する。
とある日、「なぜあなたの研究は進まないのか」という本を読んだ。
この本自体の紹介は、特にしないのですが(面白かったですよ)
この本を読んで思ったことをば、少し
僕はよく、趣味を聞かれたり、休日に何をしているのか聞かれたりすると、自分のやっていることを揶揄して「線虫と遊んでます。」と答えることが多いです。自分の心の中では、実験をしているというようなことを思っていました。
でも、この本を読んで思いました。今僕がしているのは、本当に「線虫と遊んでいる」に過ぎないのではないないかと
実験の計画をしっかり立てることもなく、やった実験の結果を十分に解釈することなく、ただひたすらに線虫をいじる。
そんなのは実験じゃない。本当に遊んでいるだけだと。
反省した。